御正忌報恩講がつとまりました
聴聞記
29日・日中
大事なことは、「命と命のつながり」であると、私は聞きました。
癒しという言葉が流行するということは、ストレス社会であるということ。
ストレス社会であるということは、人間と人間のつながりに苦しんでいるということ。
お釈迦さんは、その原因を、ここらの言葉で言う「が(我)」であると教えて下さいました。
親鸞さんは、次のようなお手紙を残しておられます。
「としごろ念仏して往生をねがうしるしには、もとあしかりしわがこころをもおもいかえして、
ともの同朋にもねんごろのこころのおわしましあわばこそ、
世をいとうしるしにてもそうらわめとこそ、おぼえそうらえ。」
今の言葉になおせば、次のようになります。
「ずっと念仏して往生を願ってきたしるしとして、今までの悪かった我が心を思い返して、
念仏の友を大切に思う心を持ち合いなさることが、
また、この世の中を悲しく思うしるしでもあろうと思います。」
太字の部分を、野世師は強調なさいました。
特に私は、念仏の友、これが「命と命のつながり」として大事だと聞きました。
念仏の友は、仏の眼、仏の言葉でもって、厳しく私の「我」を見抜いてくれます。
ですから、一面は煙たい存在です。
しかし、お互いに持つ「我」の悲しみを通して、深くあたたかく、つながり合うと思うのです。
29日・大逮夜
「我」本位であることすら分からぬ姿を「無明」というと、私は聞きました。
私たちが善とか○とかシロとか言っていることの正体を、仏法は教えます。
野世師の例は2つ。
出迎えてくれたお寺の坊守さんの一挙一動で、人物評を○にしたり×にしたり。
チェチェンの無差別爆破事件も、背景を知れば知るほどシロクロつけられなかったり。
歎異抄の「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。」という言葉を引用されて、
善とか○とかシロとかの正体は、自分にとって都合のいいことに過ぎないと教えます。
つまり、私の判断は、「我」本位でしかないということです。
しかし、「我」本位であることすら分からぬ姿を「無明(むみょう)」といい、
「無明」こそが、命と命がつながり合えない悲しい世の中のおおもとであると、
釈尊は教えます。
29日・初夜
差別を好むのが私の心の正体であると、私は聞きました。
野世師は、岡山県の療養所に行かれて実際に学ばれたことを、話して下さいました。
ハンセン氏病の元患者さんたちは、90年もの長いあいだ差別され続けてきたそうです。
病気はとうの昔に完治し、後遺症で顔や体が変形しているだけなのでした。
真宗教団も、差別に加担した歴史があったそうです。
国を、法律を、教団を批判することはたやすいですが、
最も元患者さんの社会復帰を妨げるものは、私たちの差別の心だと教えられました。
本音は差別が好きなのです。
しかし、差別をなくそうというのは建前ではありません。
どうせなくせないのだと、開き直るのでもありません。
自分のおぞい本音を教えられ、逃げずにおぞい自分を受け取るとき、
「我・自分」が悲しく思われ、世の中が悲しく思われて、
そんな社会を願うべきではないことが、明白になるのではないでしょうか。
30日・満日中
念仏の教えも、歩みを止めれば「我」本位となると、私は聞きました。
「我」本位の私は、念仏の教えさえも、自分の都合のいいようにねじ曲げてしまうのです。
野世師の手がかりは、親鸞聖人が息子の善鸞を勘当したことでした。
善鸞は「父から夜中に秘伝を授けられた」と言って、人々を掌握したと伝えられます。
この事件の詳しい背景は、私には分かりかねますが、
確かに私が聞いたことは、
念仏の教えによって、「我」本位である私を、死ぬまで破り続けられなくては、
いつの間にか、自分の手で仏法をつかんだような気持ちになってしまうということでした。
A L B U M
野世信水師。
お聴聞なさる、念仏のお仲間たち。
お昼のおとき。
御正忌といえば・・・・雪囲いの白、イチョウの黄色、鐘つき堂の大根の白。
中日(29日)のお昼、武周の里を眺めました。
青空の美しいお昼でした。3日のあいだには、雨も降りました。
初冬の薄い日差しを探して干される、もろびた。
夜、親鸞聖人の伝記(御伝抄・ごでんしょう)を拝読。
夜のお説教は、プロジェクターを使って、ハンセン氏病のお話をされました。
お説教の合間には、おかざりもちをおろして、甘ーいぜんざい。なんと日本酒も。
夜も更けて、時計を見ると10時でした。本当に頭が下がります。
満日中での野世師。親鸞聖人のお手紙を紹介してくださいました。
御正忌のしめくくりは、ごぜんさまで作ったおじや。にぎやかに。
念仏の教えは厳しいけれども、念仏の仲間はあたたかい。野世師の話がそう聞こえました。
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