門徒研修会がつとまりました
日時 6月27日(日)
会場 武生市北府(きたご)光善寺
講師 亀井ひろし先生(すみません・6/26訂正)
講題 「現代の親鸞聖人」
会費 1000円
8:15 西雲寺をマイクロバスで出発、西安居・坪谷経由
9:30 光善寺着
10:00 開会・勤行(おつとめ)
10:20 亀井氏のお話
真宗のかなめは、耳にタコができる言葉「帰命無量寿如来」
または「往生安楽国」を毎日の生活の中で実践すること
たとえ話1)工場の社長さんが、税金を払おうと腹をくくる話
2)福井の畳屋さんの嫁、姑の間の、洗濯物の話
じゃあ「帰命無量寿如来」「往生安楽国」とはどういうこと?
心安らかに税金を納めていける、
心安らかに商売していける
儲ける時は儲ける、払うときは払う、
心安らかに儲からない時を受け入れる、
お金をにぎらない、自業自得、こぶしをひらく、
来る者拒まず、去る者追わず
心安らかに老後を生きられる、
いつまで生きてもよい、いつ死んでもよい、
命も借り物、仮のもの、お達者クラブは続かない
こういう如来様からの呼びかけを聞くこと
11:45 光善寺の紹介
12:00 昼食
13:00 亀井氏のお話
午前の話の基礎・・「ともにこれ凡夫のみ」という呼びかけ
私は、自分をよしと思う。自分は正しいと思う、
自分の思い通りにならないと気がすまない、
自分を弁護する、言い訳をする、人の痛みを知らない
不幸は他人のせいだと思う、人を批判する、
死ぬまでこの姿から抜け出せないと深く信じるときに、
自分のしたことに胸が痛くなる、
人の痛みを考えなかったことに恥ずかしくなる、
戦争を繰り返す姿に悲しくなる
たとえ話1)悪い子がそろうとケンカしないという5年生の話
2)おじじにヘソクリを出してもらって新築した話
3)総代の奥さんと運転手の奥さんの聞法の違い
4)眼の病を受け取る話、産みの親と育ての親
悪人とは自分のことですという自覚が、
おもわぬ世界を開いてくれる、それが浄土(往生安楽国)
14:40 作法ワンポイント
14:50 懇談会
話題の例・・今の子供は悲しみを感じないのでは?
→子供は大人の生き写し。
ブーメランのように自分に返ってくる問題ではないか
たとえ話・・医療裁判にかけられた医師が、真宗の師の
助言を受け入れ、原告と和解し支払った話
みなさんはどう思いますか?
15:50 閉会
お元気な長老方(末の南部さん・二ッ屋の森田さん・・)から
仕事持ちの若手(武周の高橋さん・坪谷の近藤さん・・)まで
ご参加のみなさん有難うございました。
仏法は仏法、生活は生活、これでは単なる絵に描いた餅ですから、
生活と仏法はひとつ、これが昨日のお話を貫く一本柱でした。
そのために、何より難しいけれども何より大切なのは「凡夫の痛み」でした
来年は、大野(今井・西応寺)です。上庄地区の美しいところですよ。
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