簡単なプロフィール

石像の人物は、第15代住職の一雄(いちゆう)氏。
今の住職の曽祖父にあたります。
生まれたのは、幕末の文久3年(1863年・今から約140年前)です。
明治維新前の混乱期で、TVでおなじみの新撰組が結成された年でした。
生涯を閉じたのは、終戦の年の昭和20年(1945年)ですから、
82年の間に、江戸、明治、大正、昭和と4時代を生き抜いたことになります。
この石像は、彼の存命中に建てられたといわれています。
石像が造られたのにはよほどの理由があったのでしょうが、
残念ながら、彼の生涯について書かれたものは残っていませんので、
今回は、おおまかにご紹介いたします。

一雄は、京都の本山の復興に功績が大きかったようです。
本山には2つの本堂がありましたが、
明治維新の混乱で火に包まれ、両方とも焼けてしまいました。
そのとき、再建の指揮をとった一人が、一雄でした。
今、その本堂も100年以上の時を経ましたので、
大改修の時期にきており、皆様にご無理をお願いしているという次第です。
また、平成23年には親鸞聖人750回の大遠忌がつとまる予定ですが、
一雄は、ちょうど100年前の650回忌勤修にも、力を尽くしたようです。
本山からは、親授1級という最高の勲章をいただいています。
また、西雲寺の本堂も、当時はかやぶきでありましたが、
一雄のとき、お同行の方々といっしょに瓦ぶきにしました。
この瓦は、平成13年に、皆さんのお力で葺きなおされたところです。
一雄にとって最大の悲しみであったと思われるのは、
昭和2年2月9日のできごとでしょう。
この日未明、お寺の庫裏(くり)が大雪でつぶれ、
年老いた母親を始め、住職であった息子夫婦、孫3人の計6人をいちどになくしてしまったのです。
一雄は、すでに住職を退いていましたが、このあと再び住職につかなくてはなりませんでした。







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