御正忌報恩講(28日)


先月には、3日間に渡って報恩講がつとまりましたし、
それぞれのお同行のお宅でも、ちょうど報恩講がつとまっている最中です。
京都の本山では、今月21日から28日の今日まで、親鸞聖人のご命日(11月28日)に合わせて、
御正忌報恩講がつとまりました。
今日からは、この寺でも、重ねて親鸞聖人のお徳を偲ぶ御正忌報恩講をつとめます。

お寺でも各家々でも、報恩講をつとめるのは、1年に1回です。
今でも、1年に1度の報恩講のために、春から大事に山菜を保存しておくお宅がありますし、
この寺でも、そのようにしています。
食料の乏しい時代には、1回つとめるための米や小豆でさえままならなかったかもしれません。
しかし、2回も報恩講をつとめるのは、どういうわけでしょうね。

これは私の推測ですが、
すでに精一杯報恩講をつとめていたとしても、ご命日の11月28日がめぐってくると、
みながじっとしていられなかったのではないか・・と思います。
御正忌報恩講は、こじんまりとつとまりますし、
何だか精一杯つとめたあとの、質素な報恩講という雰囲気があります。
質素ながら、2回もつとめるのは、やはり突き動かす何かがあるのです。
みんなに共通の感動があるのでしょう。
この命を終えるのは悲しいけれど、補って余りあるぬくもりと強さを教えて下さった、
そのおおもとが親鸞聖人であると言ったらどうでしょうか。
自分の居場所は「凡夫」であり「地獄一定」であるという確かさ、
自分が置いてもらってる場所は「摂取不捨」であり「同朋」であるというぬくもり。
これじゃないかと私は感じています。



たまたま散歩に来たお姉さんに手伝っていただきました。近所どうし、2人の掛け合いは抜群。



明日のお斉の下準備。かたわらで、おかざりの餅米を蒸しています。



お逮夜が始まりました。



お御堂に会して親鸞聖人のご生涯をたずねます。



去年に引き続き、堂々たる華をいけていただきました。



夜は武周のお講さま。カミアラヤさんの当番です。



ほとんど毎日、お内仏でおつとめをなさっておられるそうです。



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