今年最初のお講さまは、住職が不在で、一哉氏のお説教が一席ありました。 今年もカレンダーの言葉から、 一哉氏はこの言葉の前半に注目されました。 「何のために生まれてきたの?」 真宗の背骨をグサッと突くような強烈な言葉です。 あまりにも重すぎて、 日頃無意識に考えないようにしている人がほとんどだと思います。 「おいしいものを食べる」という言葉で一哉氏は表現されましたが、 その問題を直接的には考えないで、 マイホームやマイカー、旅行やファッションなど 私たちは夢中になれるものや、 目標に向かうことで生きる意味を見出そうとします。 しかし一哉氏が指摘されるように、 その一つ一つが達成された後、私は決まって無力感を感じます。 そこで落ち込んでしまわないように、また次の目標を掲げる、 点と点を結んだような毎日を私は今も送っています。 でもお説教を聞きながら、違った視点で自分を見つめてみると、 点をたくさん並べることで自分をごまかしているように見えて、 本当に自分の望んでいることが分からなくなってしまいます。 では「ただ念仏して」生きるとはどういう事なのでしょうか。 一哉氏は前を歩く人のうしろ姿を通してご本願と出会うことが出来ると説かれました。 この冬は暖冬で雪も降らず本当に気持ち悪いほどですが、 昨日は久しぶりに冬らしいみぞれ交じりの寒い夜でした。 足元の悪い中を、それでもお御堂に参ってこられた方々が もっこりと厚着して背中を丸めるようにして帰って行かれるうしろ姿を見ていると、 気持ちが温かくなりました。 人から人へと静かに受け継がれていくご本願のつながりの中に私も入りたい、 今年もそのご縁を見失わないようにしっかりと目を開いていこうと、思います。 |