今日は住職が本山の仕事があり留守でしたので、 一哉氏のお説教のみでした。 私は一哉氏が黒板に書く正信偈の言葉が好きで、 いつも楽しみにしています。 普段、お講さまなどで皆さんと一緒にあげている時は、 きれいな節が歌のようで心地よく、 スラスラーと通り過ぎてしまいますが、 一哉氏の話を聞きながら見つめていると 一文字一文字に込められた親鸞聖人の思いを感じることが出来ます。 特に一哉氏が話の中で何度も立ち止まって確認された「等」という文字に とても興味を持ちました。 親鸞聖人も共に歩いてこられた多くの方々の心の中に お浄土や仏さまを見ておられた事を表すとても大切な文字だと一哉氏は言います。 一哉氏がお説教をする度に必ず最後には 「まわりの人の中に確かに見ることが出来る」仏さまについての話に行き着くのが、私はずっと不思議だと思っていましたが、 それは本当に真宗にとってものすごく大切な事なのかもしれません。 「おぞい身」である自分の中には絶対に見ることが出来なくて、 でも、いつも目の前にある如来の家。 大切なご縁を感じられるよう、しっかり目を開いておこうと思いました。 |