2008 美和子が聞く
武周のお講さま 1月



当番 かみやしきさん

夜7時からおつとめ  お茶  法話2席  

一哉氏のお説教は今月のカレンダーの言葉、
「あけまして南無阿弥陀仏 吉凶無用の日々をいただく」と、
正信偈の「善導独明仏正意~」以降の文章をご縁に進められました。

「凶」とは「浄邦縁熟して」と親鸞聖人がおっしゃるように、
ご縁があれば、いつでも私たちの身に起こり得ること。
たとえば、いつか死んでしまうという事実も、
それこそが私たちの本当の姿なのに、日々、忘れようとしているから、
いざ現実のこととして突きつけられると「凶」だと思ってしまう。

今回、私はこの話を聞いているときに、ふと娘の顔が浮かびました。
高校受験が目前に控えているこの時期、
彼女は彼女なりに一生懸命勉強をしていますが、
受かるのも落ちるのもご縁なのだから、
不合格だってあなたの身に起こり得ると、私は彼女に言えるだろうか?
そう言われた彼女はそれでも勉強し続けるだろうか?
慰めでも、開き直りでもなく、本当に頭が下がる思いから、
「凶」を「ご縁」として受け入れることが出来るかと不安になりました。

悶々とした気持ちのまま、2席目の住職のお説教を聞きました。
「無量寿」。今この一息一息の間に、無量の命をいただく。

あぁ、そうだった。
私たちに与えられている今、この一瞬が尊い命だと分かっていれば、
その今を、粗末に生きる事なんてできない。
たとえ、凶が我が身に起こり得るご縁だとしても、
今を一生懸命生きる、そのことに喜びを感じて生きることが大切なんだ。

自分自身を見つめる。
今、ここにいることを喜ぶ。
絶対に切り離すことはできない、二つの大切なことをすっかり忘れて、
おろおろしている自分に気づいてしまいました。

これだけお説教を聞く機会に恵まれていても、この有様です。
だからこそ聞き続けなければいけないのでしょう。
聞いている瞬間だけは、かろうじて自分が見えるのですから。
すぐに忘れても、たまにチクンと感じる機会があれば、
またスタート地点に戻ることができると思います。


護城 美和子