カレンダーの言葉「一緒に泣いてくれる如来(おや)さまは有難い」と 正信偈の「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」の部分をご縁に 進められました。 姿の見えない如来さまが自分のために悲しんでくれているなどと、 どうして分かるのか。 約700年前、親鸞聖人が挫折して法然上人にお会いになったとき、 法然上人はご自身のことも「愚痴の法然」だと 悲しみをもって親鸞聖人をお迎えになったそうです。 親鸞聖人はその時、法然上人のうしろに如来の大悲を感じられたそうです。 法然上人という人間にではなく、法然上人がいただいた如来の心に救われたと、 そうおっしゃられたそうです。 そういえば私も、共に悲しんでもらう、その事だけで救われた経験があります。 実はその時も、私はその方のうしろに如来の姿を見ていたのだとしたら、 如来さま、阿弥陀さま、仏さまは確かに存在すると私は断言できます。 自分自身を真剣に見つめれば、ろくな人間ではないけれど、 私の悲しみと共に歩いて下さっている多くの方々との心のつながりが私に勇気を与え、 今の一歩を踏み出す力を与えてくれているのだと思います。 そして、そんな私の後ろにも如来さまがいらっしゃって、 誰かの悲しみに寄り添うことができたら、こんなに素晴らしいことはないです。 |