本山差し向け布教

6月14日、15日(西雲寺)

ときおり雲はかかるものの、雨気の薄い毎日です。
一雨ほしいという話はそこらそこらで、
山のおんさん(サル)にインゲンをすべーんと食べられた話で本堂はもちきりの様子。
もう「どーもならん」と…

そんな毎日を送る中、お差し向け布教がつとまりました。
私が印象に残っているのは、ごはんつぶの話です。
じいちゃんと孫との2人暮らしでしょうか、
「食べ物さんには仏がござる、拝んでたべなされや」が口ぐせのじいちゃんでしたが、
孫が小学校になって、理科の時間に顕微鏡で米粒をのぞいてみたら、
ちっとも仏さんなど見えなかった。
先生は「おじいさんは明治の人やから、迷信を信じてるだけや。
米つぶの中に仏さんなんかあらへん、あるのは炭水化物とタンパク質や」
と教えたそうです。
それを家に帰って、もちろんじいちゃんに話をしますよね。
そしたらじいちゃん、どう言ったと思います?
じいちゃん、何にも言わんと、悲しい顔をされた。
何にも弁解せんと、ただ悲しい顔をされた。
そして、食事の時に同じように「食べ物様には仏がござる、拝んで食べなされや」
とつぶやいていたそうです。
その後、60年という月日が過ぎ、じいちゃんと同じような歳になってやっと、
じいちゃんの言っていたことがわかったと、しみじみ思った、
確かに顕微鏡では見えなかった
でも今になってやっと拝めました、食べ物様には仏がおられました、おじいさん。
そんなたとえ話でした。

何が印象的かというと、
孫の抗議に対するじいちゃんの姿です。
何にも言わんと、ただ悲しい顔をした、じいちゃんの姿です。
ふふふ〜仏の教えは流行らんわね〜
記事にも写真にもならないし、宣伝のしようもありませんよ、これは。
でも、これなんですよね。先輩の姿は。
この姿が、仏法に出会われている姿だと強く思います。
自然(じねん)の理とか、覚りとか、言葉で言うとそういうことかも知れません。
昨日はたまたま、昔の人は、道を歩いていても「なんまんだ〜なんまんだ〜」てつぶやいてたね、
お同行のお宅で、そんな話が出ました。
それも一緒だと思います。
そのつぶやきも、人に聞かせようとか、よし念仏しようとか、何か思って言ってるのでしょうか?
いやいや、道を歩きながら、ふと思い当たるのです。
ああ、そうやったなあと。ああ、その通りやなあと。
なんじゃそりゃ!?とお思いでしょうね。
確かにそう思います。
もどかしいです…ホント…
言葉は、まったく足りません。
悲しい顔で「食べ物さんには仏がござる、拝んでたべなされや」と言うだけのじいちゃん、
じいちゃんその人を拝むのではないのです。
じいちゃんが出会っている世界、それが至宝であり、受け継ぐべき財産なのだと思うのです。
遺すべきは、お金や土地じゃない、
称えるべきは、長寿や健康じゃない、
受け継ぐべきは、平生の生活の中でじいちゃんが出会った世界(別世界じゃないということ)、
その孫という方も、60年の時を経て、ようやく財産をいただいたと喜んでおられるのでしょう。

私はそのように聞かせていただきました。



大事に育てたユリをいただきました。



合わせて6席(30〜40分のお説教を6回)聴聞の機会をいただきました。



田中美知男師。滋賀県草津市からお越しいただきました。



五色の旗は「仏旗ぶっき」と呼ばれ、仏教共通のシンボル。平等のこころの象徴だといただいています。



秀吉の辞世の句「〜夢のまた夢」と合わせ、思い残すことのない今日一日の大事さを感じました。