2010年 美和子が聞く

武周のお講さま 6月


当番 にしさん

夜7時からおつとめ  お茶  法話2席

正信偈の言葉「煩悩まなこを障えて見たてまつらずといえども、大悲ものうきことなくて常に我を照らしたまう」
カレンダーの言葉「私の苦しみ悩みを痛み、動きどおしの阿弥陀さま」
この言葉をご縁にしながら、
先日訪れた比叡山での話しを交えて進められました。
正信偈を簡単に訳すと
「煩悩が私の目をさえぎって、仏を見ることが出来なくても
 仏の心は決してあきらめることなく私を照らして下さる」
これは親鸞聖人が源信という方について書かれた部分だそうです。

親鸞聖人や法然上人、今回登場した源信和尚が修行された比叡山には今でも、
「一隅を照らす」(まわりの人を照らす人になりなさい)
「忘己利他」(自分を忘れて他人の利益になることをしなさい)
という言葉が貼られているそうです。
「仏の心を自分を通して(実践して)あらわしなさい」と言う教えだそうです。

まわりの人から照らされて仏の心を感じる真宗とは随分違いますね。

仏教はすべてに人を救うという考え方は同じなんだそうです。
その仏の心の表わし方が違うんだそうです。

どちらにしても「仏の心」というのがやっぱりよく分かりません。
お金とか、車とか形があれば、身近にあることがはっきり感じられて幸せだと思えるのに、
お心を感じて幸せを実感するのは、むずかしいです。
まわりの人の心(善知識と言うそうです)に感動して、
温かい気持ちになることはよくありますが、
それがその人自身のおかげではなく
「仏」の心がその人を照らしているからだというのが、ややこしい。
ただ、私の心を温めてくださる方々も実は誰かに支えられていて、
その繋がりに感謝しながら「南無阿弥陀仏」と手を合わしている姿(名号と言うそうです)を見ると、
それが「仏の心」かなぁと思います。