2011年 美和子が聞く

武周のお講さま 9月


当番 じならいさん

午後7時半からおつとめ  お茶  法話2席

正信偈の言葉
「即ち真如法性の身を証せしむ 煩悩の林に遊びて神通を現じ 生死の園に入りて応化を示す」
カレンダーの言葉
「一声のお念仏 アミダさまのお喚び声」

親鸞聖人が尊敬された方の一人が法然上人です。
比叡山での修行に意味がないと気づき、
落ち込んでいた親鸞聖人にとって、
法然上人のお姿はとても眩しく、憧れの存在で、
もしかしたら「あんな人になりたいなぁ」と思われたかもしれません。
しかし、親鸞聖人は法然上人個人を見ていたのではなく、
法然上人が見ていたものに憧れたのではないかと指摘し、
だから、離れて暮らしても、死に別れても、
法然上人から受け継いだものに喜んで生きていけたのだと話は続きました。

お説教の最初に「あなたには尊敬している人はいますか?」と質問されましたが、
話を聞きながら、そういえば私が尊敬してる方たちって、
その方そのものというよりも、その方の生き方であったり、
その方からいただいた言葉だったり、笑顔だったりするなぁ・・・などと考えていると、
その一つ一つが阿弥陀さまの光だと思えば、それもそうかも・・・と妙に納得していました。
個人を尊敬しているのなら、その人になるのは不可能ですし、
離れた途端に絶望的な気持ちになるでしょうが、
その人と同じ方向を向いて生きていけばいいと思えたら、
私でも出来そうな気がして嬉しいなぁと思いました。